エッセー

家族の諸行(因縁によって生じたこの世の一切の事) 「父の場合」#1

父の13回忌が風薫る今年五月の高尾山であった。趣味の野球の為に尽くして、晩年は、世界中の仲間から、友人として親しまれていた。87歳で他界したから、生きていれば、100歳だった。律儀な、台湾の仲間の方々が、遠路はるばる来られ、日本の同好の士の方々と共に参列された。父は野球をオリンピック競技に加えることで世界の仲間と尽力した元々のメンバーの一人だ。東京オリンピックでの復活を墓前で報告していた。

父の最後は、ぴんぴんころりだった。今回列席された台湾のお一人が、死亡推定時刻の十五分前に、国際電話で父と話をしていた。台湾の野球界を激励した。受話器を置いた後、お好みの葉巻をくゆらせた。テレビを見つつ、午前中に受けた針治療の反応もあり、椅子でうたた寝をした。その最中、心不全を起こした。あっという間の旅立ちだった。後で分かったことだが、家族に知られぬよう、こっそり医者から、ニトログリセリンを処方してもらっていた。

周りの者にとっては、一陣の風と共に舞台から、消えてしまったようだった。しかし、父には、その時が迫っている虫の知らせが、有ったのだろう。急に私の家に泊まりがけで訪れ、また、妹の北海道の家にも出向き、寛いでいった。しかし、この時は、好物の串揚げを食べても、少ししかアルコールを口にしなかった。それでも葉巻は吸っていた。何事も段取りの良い人だった。数年前には、生前葬までして、元気なうちに皆さんとお別れをしていた。母が先に旅立ち、兄も逆縁で父より先に、みまかった。寂しさから、お酒を飲んでは、「まだ母よりのお迎えが来ない。」と愚痴っていた。

父と野球の縁は、台湾で始まる。子供のころに、台湾で材木業をしていた事業家のもとへ養子に出された。母親は幼少のころ他界していた。総てを忘れる為には、何か没頭するモノが必要だったのだろう。同じく養子の弟と野球を共にし、養母がこれを温かく応援した。養父は、満州鉄道に枕木を納める仕事をし、厳しい人だった。台湾の山岳部へ入り、山師として、原木の目利きする時の祖父は、鎖帷子姿で、身を固めた精悍な大柄な人である。最初は内緒で、学校で野球をしていたようだ。その内に体を鍛える運動として、養母のとりなしで、認めてもらった。

ただ厳しいだけの養父ではなかった。私が大学時代、父と一緒に焼き鳥屋で飲んでいるときに、してくれた話だ。その頃未だ雀の焼き鳥が有って注文した。その際、昔話をしてくれた。養父がよくシギの焼き鳥を、食べさせてくれた。子供の歯の力では、雀と違ってシギは無理で、よく骨をかみ砕いてくれたという。武骨な父親が、男の子を慈しんでいる情景が目に浮かんだ。

旧制中学時代、台湾代表校として、甲子園にも弟ともども投手と捕手で出場している。この学校は今でも台湾で、有数の進学高校として残っている。台湾と甲子園では、嘉義農林が第17回大会で準優勝している。近年台湾で映画化された。父の年は2回戦で敗退している。

その後、内地の私学の雄とされる大学に進学する。弟も兄を追うように、同じ大学に進学する。父は既に肩を壊し、外野手に転向していた。弟は、正捕手で、学徒出陣の年、私立の雄同士の有名な最後の壮行野球試合に出場している。その後兄と同じ海軍に入り、南方へ偵察機で出たまま戻らなかった。父は海に落ちたんだと言っていたが、実情は分からない。

父が海軍を選んだのは、死ぬ時はあっという間に死ねるからと云う理由らしい。しかし、士官用の白い制服姿の写真を見ると、この方が格好が良いからではないかと思ってしまう。良く似合っている。母とは、学生時代に知り合った。母方の祖母が、父の野球部の大ファンであることが、縁の出来る一因でもあったようだ。時代背景もあり、海軍に入ってすぐに結婚した。

父の勤務は、まず、予科練の教官を勤めた。その勤務地の土浦で、私の兄が生まれる。このころ、物のない中、庭を畑にして採れたものや、様々なものを工夫して、母がお弁当を毎日作っていた。それを見ながら、母方の祖父が、これを毎日食べられる父は幸せだなと羨ましがっていたそうだ。

終戦を迎えたのは、海軍の鹿児島県鹿屋だ。陸軍の知覧と並ぶ特攻隊の基地だ。ここで気象班の班長を務めていた。ポッダム大尉だった。その後、大阪の有名な繊維織物の会社に入る。ここは2年で退社してしまい、自分で会社を立ち上げることに成る。この間に、私が生まれた。大阪の天満宮の近くだ。母方の祖父が、私を背負って何時もの散歩に出かけ、何時になく疲れた様子で家に戻った、その晩、この世を去った。父の養父も終戦前に病没した。戦後、事業・財産総て、没収され、養母のみが、下関に引き上げた。

次は、父の事業の度重なる失敗と、下関の生活の話です。

イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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