特集

井の中の蛙、秀樹という船で“芸能海”に飛び込んだ〈大しけ編〉

目が覚めた!「毎日がオーディション」

順調な船出から半年も経たずに、私は秀樹に失望していく。

市村正親さん、鳳蘭さんとの3人芝居ミュージカル『ラヴ』でのこと。東京と地方公演合わせて約2か月に渡り、ミュージカル界を代表する役者の舞台裏を見たことは大きかった。

公演期間中、私は開演前のロビーでFC(ファンクラブ)会員受付やグッズ販売の準備をすることが日課だった。ロビーでは、市村さんと秀樹が発声やストレッチなど1時間ほどウォーミングアップしていた。その横で私は、存在感をなるべく消して淡々と作業をしていた。

初日から3日経つと、ウォーミングアップは市村さん一人になり、翌日もその翌日も秀樹は現れず。市村さんは、得体の知れない私に「秀樹んとこの人? 名前は? これは何してるの?」と声をかけてきた。思わず私は「秀樹さんはもうアップ辞めちゃったんですか? ダメですね…」と嘆いてしまった。市村さんは「うん、そうみたいだね」と”ダメ”を否定せず笑った。

以来、市村さんは一人毎日ロビーでのアップついでに私と雑談をするようになった。当の秀樹はついぞ最終日までアップをすることはなく、楽屋でゴロゴロだらだら…。跳んだり跳ねたりダンス要素もある舞台では、「秀樹一人」を見ていたらわからないけど、体のキレや軽やかさは市村さんに見劣りするのは明らかで、長期間では体がもたなくなっていた。

そして最終日の打ち上げ。舞台スタッフもキャストもバンドも全員参加で私は秀樹チームのはしくれとして隅っこに座っていた。舞台監督や照明さんからしたら私なんて面識さえない。一人ずつの挨拶が一通り終わったと思ったその時、市村さんがいきなり「まだいます、秀樹のところの直子ちゃんです、彼女も頑張りました!」

ビックリするのと恥ずかしいのと申し訳ないのとで心臓が凍りついた。この場で挨拶するような分際ではないと思っていた。秀樹も目が点。自分のスタッフをこんな風に共演者に紹介されては秀樹の立場がない…。ヤバいよ、これは。

でも、不慣れな場で心細かった私の毎日をねぎらってくれてたのは秀樹ではなく、市村さんだった。私は舞台スタッフでもないし市村さんにとってはスルー当然の存在なのに。こんな存在にまで至らす気遣いは、やっぱり身に染みて嬉しかった。舞台はキャストだけでは成り立たない、上下もない、カンパニー全員で創るもの、という劇団四季出身らしいスピリット。

秀樹は良くも悪くも「俺のステージ」。「西城秀樹」のためにスタッフもお客さんも全てが動く、という”お殿様スタイル”が当然。周りもマネージャーも秀樹を腫れもののように接していた。楽屋での居方もスタッフへの接し方もオープンで気さくな市村さんとは対照的だった。

このときのご縁で私はその後の市村さんの様々な舞台を観に行くようになり、時にはゲネリハ(本番直前の通し稽古)を見せてくれるようになった。観た後、市村さんは必ず私に感想を聞く。適当な「おもしろかったですー」は許されず、どこがどうおもしろかったのか、つまらなかったのか、容赦ない質問攻めが来る。「イマイチわからない」と私が言えば、セリフの言い回しなどを探り、次回に「今度はどう?」と確認が入る。舞台をボーッと観られないけれど、「第三者の素人の目」も大切にする意識の高さに驚いた。むしろそれは”素人”ではない、それこそが多くのお客様の目と市村さんは捉えていた。

対して秀樹はコンサートの後、「あの曲良かったでしょ?」「この衣装カッコいいでしょ?」その答えは当然「yes」しかあり得ず、「いや、それよりも〇〇が良かった」と具体的な感想をこちらが言える余地はない。口調は優しくても威圧的空気に押され、私は「もっとこうすればいいのに」という気持ちを山ほど抱えたまま、とても残念な気持ちになっていた。

反比例するように、市村さんからは多くのことを学んだ。

「毎日がオーディション」。この市村さんのモットーは、今でも私にとっての人生訓。オーディションで役に付いてきた役者らしく、「お客様は毎日違う」という意味だけど、日々、誰に会うか、誰に見られているか、どんなチャンスがあるかわからない、同じ日はない、というのは人生に通じる。

そして市村さんの口癖は、「舞台は生き物。お客様はその日一回のために時間を作り、お金を使って足を運んでくる。チケット代にお釣りを返して得したなという気持ちで帰ってもらいたい」。お金を払って見てくださることは当たり前のことではない、という姿勢に私は目からウロコだった。だから「慣れ」を最も嫌い、自分のコンディションを整えることも怠らない。プロフェッショナルとはこういうことか!

ところが秀樹にはそれがバカバカしかったらしい。総じて安い舞台のギャラを、5秒間ニコッと演技するだけで何千万円になるCMのギャラと比べ、こんな安いギャラで毎日重労働の舞台は割に合わないという考え方。あろうことか、それを市村さんにまで言ってしまった…!!

確かに秀樹は事務所の社長として経営者の立場もあった。タレントが経営視点を持つことによる弊害はある。でも役者であり歌手であり、引き受けた以上は、ギャラによる優劣をつけながら、そんな気持ちでお客さんの前に立たないでほしい。せめて自分の本分であるエンターテイナーとしての領域にはもう少し真摯でひたむきな誠意を持っていると思っていたのに。

舞台の第一線に立つ人に触れ、私は”本物のプロ”とは何たるかを知った。それは出役に限らずどんな仕事にも通じる姿勢として今も自戒する。同時に、幸か不幸か、抱き始めた秀樹への失望感。

そんな折、事件が起きた。イヤな予感は的中していく。

 

かしわぎなおこ

かしわぎなおこ

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●小学校から大学までキリスト教系の私立一貫校で育つ。
キリスト教信者ではないが、幼い頃から「祈ること」や「神様」は身近に感じてきた。
ただ、学生時代はシスターの教えは大嫌いで怒られてばかり。ミサは寝る、聖書はイタズラ書き。
社会に出てからは、教えられたキレイ事は通用しないし、普段は忘れているものの、何か大きな出来事があると、心のどこかで「神様の力かな」と自然に思っている。

●銀行員から西城秀樹へ 25歳で大転身
銀行総合職をやめたいと思っていたとき、中学から大好きだったヒデキの事務所から、当時ファンクラブに所属していた私に事務所で働かないかと声がかかり、夢かとビビる。
「人生最大の神様のイタズラ!のらないと女が廃る!」と思って飛び込んだ。

●30歳でフリーに
著名人インタビュー、雑誌・書籍制作など、「書く」仕事を中心に、メディアのプロデュースと制作。
書く仕事は手段でしかなく、本望は「私が魅力を感じるコンテンツを世の中に伝えたい」。←秀樹時代から変わらない
多くの企画の中で、特に「フラガール」「高橋大輔」に関わった仕事は私にとっての代表作。
ハワイ好きの私が映画「フラガール」とのタイアップでつくったフラ教本は、複数回重版がかかる異例のヒットに。
トップアスリートに7年間密着して、バンクーバー、ソチ五輪に行けたことは人生の財産になり、書籍を6巻シリーズで発行し、メディア制作業としても集大成になった。
時代の変化と共に「私が魅力を感じるコンテンツ」も変化し、今はフレンチシェフの社会活動とその発信をサポート中。

●信条
「好きはすべての原動力」
私は基本は仕事が嫌いなので、好きなこと(興味のあること)を仕事にする。

●好きなもの
ハワイ、デニム、Tシャツ
私はハワイの太陽でしか充電できません。今のところまだ少し電池残ってます。

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