エッセー

【ヤッシーのきまま見聞録⑥】

私の名前はヤッシー。会社人生は終わった人ですが、第二の人生はこれから。会社の重しが取れた身軽さで見たこと、聞いたことなどをきまま(気まま、生まま)にお伝えします。きままなので、悪しからず不定期です。

 ≪珈琲道—吉祥寺もかの系譜≫
皆さん、珈琲はお好きですか? 私も珈琲は好きで1日に4〜5杯は飲みます。通の方はブラックで飲むのでしょうがストライクゾーンの広い私は何でもオーケー。浅煎りから深煎りまで自家焙煎珈琲をブラックで味わいますし、イノダコーヒーのような砂糖、ミルク入りもおいしいと思います。暑い時はアイスコーヒーも飲みますしコーヒーゼリーも食べます。深煎り珈琲に深入りした時期もありました。

珈琲が“発見”されたのは9世紀頃のエチオピアで、と言われています。ヤギ飼いの少年が、ある灌木の実をヤギが食べてとても興奮しているのを見て修道僧にそれを話しました。修道僧がその実を試しに食べてみるととても気分がよくなり活力がみなぎったそうです。修道僧は僧院にそれを持ち帰り、徹夜の宗教行事の時などに眠気覚ましの秘薬として用いたと言います。珈琲の効用をまず知ったのは修道僧だったのですね。

わが国に初めて珈琲が入ってきたのは江戸時代初頭。鎖国の時代に長崎・出島のオランダ屋敷に伝来したと言われています。最初に珈琲を飲んだ日本人はそこに出入りしていただれかさんだったようです。しかし限られた飲み物だったので江戸時代に庶民に普及することはありませんでした。本格的に飲まれ始めたのは開国となった明治以降、文明開化の象徴、西洋からきたハイカラな飲み物として洋食とともに広まっていきました。

ちなみにコーヒーを「珈琲」と名付けたのは江戸時代の蘭学者で津山藩の藩医・蘭学者だった宇田川榕菴です。オランダ語のkoffieという発音に合わせて名付けたわけですが、これは単なる当て字ではありません。「珈」は女性が髪を飾る玉飾りの意味で、「琲」はその玉飾りの紐のことです。榕菴は連なって真っ赤に実っているコーヒーチェリーを見て玉飾りを思い浮かべ「珈琲」という字を当てました。その表現力、描写力たるや、凄いですね。余談ですが榕菴の造語力は他にも半端なく発揮されています。今でも使われている、われわれに馴染みの深い酸素、水素、窒素、炭素、白金、金属、還元、細胞、圧力、温度、結晶、成分、物質、法則などの言葉は皆、榕菴の作なのです。榕菴は私から見れば「ネーミングの神様」のような存在です。

珈琲の味を決める要素は「豆の質(産地も含む)」「焙煎の技」「ブレンドの妙」「適正な抽出法」だと言われています。そしてそこに「造り手の熱意」がいかに加わるかも重要な要素です。これらを総合して究極の、飲む人を虜にする珈琲を創り出すのは並大抵のことではありません。そこに至る道はまさに「求道」と言っても言い過ぎではない「珈琲道」の真剣勝負の世界です。この真剣勝負、求道の道を自家焙煎珈琲で歩んだ方は何人もいらっしゃいますが、とりわけ「自家焙煎の御三家」と言われている方の歩んだ道は強烈です。

その御三家とは「吉祥寺もかの標交紀(しめぎゆきとし)氏」「銀座カフェ・ド・ランブルの関口一郎(せきぐちいちろう)氏」「南千住カフェ・バッハの田口護(たぐちまもる)氏」のお三方です。残念ながら標交紀氏は2007年12月に享年67歳で、関口一郎氏は2018年3月に享年103歳で亡くなられました。お三方の歩まれた道については「コーヒーに憑かれた男たち」(嶋中労 中公文庫)、「コーヒーの鬼がゆく」(同)に詳しく書かれているので、ご興味のある方はぜひご一読ください。

このお三方の中で私が特に心惹かれるのは吉祥寺もかの標交紀氏です。私は吉祥寺からそう遠くはない所で育ったので、子供の頃には井の頭公園によく遊びに行きました。井の頭公園に降りていく坂の途中に喫茶店があったのをぼんやりと覚えていますが、それが「吉祥寺もか」だったのです。標氏の歩んだ道はそれこそ嶋中労氏が著作で紹介しているように「鬼」のごとく、寝食を忘れて一心不乱に最高の味の珈琲を創り出すために打ち込みました。その求道の姿勢は時には奇人、変人と言われるほどだったそうです。究極の味の珈琲を求めて日本はおろか世界にも足を延ばしました。そうした中、ご縁があって師匠と崇めた襟立博保氏に関西で巡り合い、エチオピアの豆に出会い、匠としての自分の世界を確立していったのです。標氏がエチオピアで出会いプロデュースした豆は特別に「しめぎモカ」と呼ばれていました。

私が「吉祥寺もか」の前を通ったのはまだ子供の頃でしたし、標氏のことを知ったのはすでに亡くなられた後だったので残念ながら「吉祥寺もか」の珈琲を味わうことはできませんでしたが、それは通を唸らせる深みのある、究極の味だったと言います。海外からの訪問客も多く、外国のある雑誌には「日本で行くべき二つの場所は、富士山ともか」とまで紹介されるほどだったそうです。

今では標氏の淹れた珈琲を味わうことは叶いませんが、その弟子達の淹れる珈琲、「吉祥寺もか」の流れを汲む珈琲を味わうことはできます。山形・鶴岡の自家焙煎珈琲の「コフィア」は、標氏に一番長く仕え、鍛えられ、可愛がられた門脇祐希氏が開いた店です。私は昨年12月の初旬、雪の降る直前に鶴岡の駅からほど近い「コフィア」を訪ねました。標氏と同じように白衣にネクタイを締めた立ち姿で、一心不乱に黙々とネルドリップで淹れる門脇氏の珈琲を味わいました。「しめぎモカ」がメニューに載っていましたが、今は入手できないとのことなので、同じエチオピアのストレート珈琲のハラールモカを頼みました。酸味のあるやわらかなフルーティーな味わいでとてもおいしく、一気に飲んでしまいました。

新潟の越後線の寺尾駅から歩いて15分ほどのところに「交響楽」という自家焙煎珈琲の店があります。ここは標氏に教えを乞うて腕を磨き、匠の技を受け継いだ湯川氏の店です。私は今から7年ほど前に訪ねましたが、湯川氏が譲り受けた「吉祥寺もか」の遺品の数々が店内に飾られていました。紙袋なども今では貴重な「吉祥寺もか」で使っていた残りを使っていました。「交響楽」では浅煎りのデュンナーブレンドを注文しましたが、あっさりとした中にも酸味の効いたやわらかな味わいでした。コーヒーゼリーも頼みましたが、珈琲のコクと甘みのバランスがとてもよくこだわりの逸品です。聞けば研究に研究を重ね、砂糖でも試行錯誤の中からサトウキビから採った厳選したものを使っているとのことでした。

福岡市中央区にある「珈琲美美(びみ)」は標氏の弟子の1人であった森光宗男氏が開いた店です。残念ながら森光氏は2016年12月に、ネルドリップ普及のセミナーの帰途、韓国の空港で倒れ急逝されました。現在お店は奥様が引き継がれ営業されています。私はまだ「美美」には行けていませんが、今年はぜひ「吉祥寺もか」の系譜を訪ねて見聞したいと思っています。

森光氏の弟子、標氏の孫弟子にあたる藤原隆夫氏が岡山駅前で「折り鶴」という店を開いています。私は今から8年ほど前に訪ねましたが、焙煎へのこだわりが感じられる珈琲を味わうことができました。岡山といえば、あの標氏が師匠として崇めた襟立氏も津山の出身でしたし、宇田川榕菴のお墓も津山にあります。調べてみると何と襟立氏と宇田川榕菴が眠るお墓、お寺は目と鼻の先のすぐ近くです。倉敷には襟立氏の弟子であった畠山芳子氏が開いた倉敷珈琲館もあります。岡山は珈琲、自家焙煎珈琲にとても所縁のある所なのです。今年は岡山にもぜひ行きたいと思っています。

以上、「吉祥寺もか」の系譜の一端をご紹介しましたが、私は今では入手不可となっている「しめぎモカ」を一度だけ味わったことがあります。今から7年ほど前に勤務先の近くに宮越屋珈琲があり、そこに「しめぎモカ」が置いてあったのです。かなり高めの一杯でしたが、究極の自家焙煎珈琲の創作に心血を注いだ伝説の匠が厳選した珈琲を味わいたく思い切って頼みました。標氏の求道に思いを馳せながら飲む一杯には格別の深みが感じられました。


追伸:ヤッシーが本の第2弾を出しました。「働く方・働く場改革 人と職場を活性化する笑談力・考動力 〜笑いをうむ19(いっきゅう)のワザ〜」(ビジネス教育出版社)。ご購読いただければ「笑いのコミュニケーション」と「考えて動く力」を磨くための一助となるはずです。

ヤッシー

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